区切りと豊かさの秘訣

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小学校卒業-はかま-撮影から
読み解く

“区切り”の大切さと
豊かさの秘訣

人生で何度も訪れる、ステージが変わる瞬間。
その瞬間を力に変えて、豊かさに変えていく、ほとんど知られていない方法。

なぜ、新しいステージへあがるときに、うまくいく人と、つまずいて出遅れる人がいるのか?

なぜ、過去を学びとして活かして、スタートを華々しく決められる人と

過去に引きずられ、スタートできずに停滞してしまう人がいるのか?

つぎのステージのスタートの幕を華々しく上げ、さらに今後も豊かに生きていくための、秘訣をお伝えします。

ご覧いただきありがとうございます。

こんにちは!

三重県松阪市の写真スタジオ
スタジオフォトアライ・ジュエ


店長の荒井ゆうすけです。

写真スタジオの経営者のかたわら、

心理学の専門の心理士でもあり、一人娘の父親でもあり、

「道」を探求する意志のある、学ぶ者でもあります。


学び先は、秘匿な場所のものもあれば、古来より探求されている東洋思想のもの、

西洋の哲学や心理学、

古典や新しい見識、発達心理学や脳科学

など、多岐に渡ります。


これらはすべて、

【人の豊かさを実現していく】

という、ぼくの理念から発しています。

この理念のもとに統合させた学びを、人や社会に役立てるようにすることを、使命としています。


ということで、

今回は、冒頭でもお伝えしている通り

人生のステージが上がるときに、今後を豊かにすることができる

そんな、ほとんどの人が知らずに、意識もしていない秘訣をお伝えしていきます。


この秘訣を知り、意識し、実践してもらうことで確実に、お子様もここをご覧いただいているあなたも、人生を豊かにしていきやすくなります。


ぼく自身も、この秘訣を学び、取り入れることによって…

悩むことが少なくなり、力に変えていけるようになっています。


そもそも、「悩み」とは決断ができずに、迷っている状態。

今回の秘訣は、この悩みを断ち切る、決断の仕方にもなりますので、

最後までご覧いただき、豊かさの糧にしてもらえればと思います。


それでは、いきなり結論からお伝えします。


人生のステージが上がるときに、今後が豊かになる、その方法とは

“区切り”をつけるということです。


「区切りがついた」ではなく
「区切りをつける」です。

「区切りがついた」と、
受動的な待ちの姿勢ではなく、
(受動エネルギーも必要ですが、)

「区切りをつけた」という
能動的に、人生に働きかけていくような感じ。


これが、秘訣になります。


これを人生の習慣にしていくことで、生き方(習慣)が変わり、果ては、運命も変わっていく(好転する)ことになります。

本来のあなたの運命に戻るとも言えますね。


そんな運命を切り拓いていく
“区切り”の付け方と本質を
お伝えしていきますので、

ゆっくりご覧くださいませ。


まずは、ぼくの”区切り”ストーリーを
具体的にお話しますので

雰囲気を掴んでもらえたら嬉しいです。


そのあとに、”区切り”の本質と
豊かさの秘訣、

卒業はかま撮影にどう関係してくるのか?
について進めていきますね。

“区切り”とは
自分でテーマを設定して
乗り越えていくこと

いま現在、ぼくには、
2つの区切りがあります。

1つは、自ら区切りとして設定したもの。

1つは、期せずして、区切りとしてやってきたもの。


この2つ区切りのお話は、あなたの人生を豊かにするための

ちょうどいいタイミングのストーリーになると思うので

惜しげもなく、お伝えしていきます。

正直、ここを理解さえしてもらえれば、

8割、9割OKです。


それでは、いま現在のぼくにどういったことが起こっていて、

どう、豊かさへのステップにしているかを
ご覧ください。



ぼくの理念、想いは

人の豊かさを実現していくこと

です。


豊かさを実現していくには

“豊かさとは?”という問いを立てて
追求していかなければなりません。

つまり、豊かさについての知識と
実践していける知恵への探求を
しなければいけない、ということです。


はっきりと言います。

2021年は、この豊かさへの探求が
中途半端でした。

想いは変わらないけど、

自我が強く、自分本位さがあったと思います。


「結果は出ているけど、なんだかスッキリとした気分にならないな。」

と、なんだかモヤモヤしたものが、おなかの中で、薄く揺れ動いている感じ。


それで、年末の間、しっかり考えてみることにしたのです。

自分が実現したいことは、どういうことだったのか?

誰のために、なんのために、この道を行こうと思ったのか?

実は、自分が行なっている豊かさへの探求は、「自分自身のため」が、先行してしまっているのではないか?


こんなことを考えていたんです。


そして、ぼくは進路を見つけました。

豊かさとは、人の人生に必要なもの。

それは、自分のためだけに考えても達成できないもの。

誰かのために、世の中のために、雑念を払い、実行していくもの。

その過程で、自分も豊かになり、また人や社会に還元できるもの。


こういう進路を見つけたのです。

そういえば、ぼくの商売道(どう)は

“先も立ち、我も立つことおもうなり”
ということも、思い出しました。

(相手をまず豊かにして、その結果、自分も成果を出せる人間になれる、という意味合いです。)


なので、この進路を大切にするテーマを設けました。

そのテーマは

「人の豊かさを実現できる自分になる」

です。


理念とあまり変わりないですね(汗)

ただ、深めて、見つめて、考えて、

循環してきた結果で、
自我というより、貢献や利他の精神。

これらを意識して、日々を送るということで、


より、志(こころざし)として、立てることができた、ということです。


「人の豊かさを実現できる自分になる」というテーマを掲げたということは

そこにたどり着いていなかった自分と、

これからどうしていこうか?と、

展望が見えた自分とのあいだに、区切りをつけられたということです。


区切りをつけたあとは、テーマを毎日、思い返すことと、

どう実践できたかを振り返ること。

これで、自分の進路に迷うことなく、迷いがないから、

決められない不安を抱えることはなくなります。

できたか、できていないか?は途中経過としての振り返りで、

たとえ、イマイチ今日はできなかったと思ったとしても、それがゴールになるわけではありません。

その道を進んでいるということが大事なんです。

これで、人生は充実するようになり、

その充実が豊かさにつながっていくのです。


ですので、まずはご自身の成したいことを考えてみること。

そこで大切になってくる、志や理念を決めてみること。

そうすれば、その志や理念を試すかのように、出来事が起こります。

そして、テーマを感じて、テーマを設定して、過去の自分と区切りをつけるのです。


こうやって、前に進むために”区切り”をつけていくんですね。

区切りをつけなければ、モヤモヤしたまま、ダラダラと考えや執念にハマり、

その状態が通常に変わっていってしまいます。

それでは、進むどころか、

沼にハマったような停滞しか生み出さなくて、

困ったことになりますよね。


ぼく自身、そうやって区切りをつけたことにより、

いま、このコンテンツを人の豊かさのために作成できています。

結果がどう出るかはわかりませんが、はっきり言って、

確実に前に進めていて、充実しています。


あなたも、絶対に簡単にできると思いますので、

ぜひ、区切りを意識して…

また、

お子様に伝わるよう、慈しみの気持ちを持って過ごしてみてください。



…という感じで、このストーリーを終わらせようと思ったのですが、

新しいテーマが本当に最近、降り注ぐかのように起こったのです。

ですので、ストーリー第2部です(笑)


さっきのストーリーとの違いは、

「区切りのテーマを自分で設定した」ことと

「区切りのテーマが降り注がれてきた」という違いです。


まったく意図していないことが起こりました。

どんなことが、ぼくの身に起きたのか?


… …

その前に、お茶でも飲んで、少し休憩してください(ホッ)

それでは、第2部をはじめたいと思います。(笑)



2022年1月11日。

妻が入院することになりました。

えらいこっちゃです!


あっ、なんか重い話がはじまるかと感じていらっしゃる方もいると思いますが、

結論から言うと、妻は大丈夫で、お医者さんからは、良くなると言ってもらっています。


どうやら、難病指定されている病なんですが、これは制度上、そうなっているというもので、治っていく病だそうです。

で、伝えたいのはここからなんです。


ぼくは第1部のストーリーで、

「人の豊かさを実現できる自分になる」というテーマを掲げました。

その前との自分と、区切りを付けたんです。


「さぁ、ここからまた新たにスタートだ!」

っていうタイミングで、妻の入院です。


新たなスタートを切るときは、坂道を自転車で駆け上がるときみたいに、

一番、エネルギーをかけなきゃいけないときじゃないですか?


そのタイミングで、妻の入院です。


ぼくには現在、保育園の年長の娘がいます。

普段であれば、妻とぼくとで、家事や育児を分担して、

生活と仕事のバランスを保っているのですが、

今はぼく1人で、すべてを見ることになりました。


言わば、自転車で坂道を登ろうとしているときに、

「やっぱり、坂じゃなくて、この垂直な壁を登ってね」って

言われているようなものです。


こういうことって、程度の差はあれ、よく起こりませんか?

「やるぞっ!」って決意したときに

外部的な影響で、思い留まらされたり、反対の意見や助言をされたり…


志や想いを立てるときには、本当によくあることです。


そこで、必要になってくるのが、

“区切り”をつけること。


何度もお伝えするのですが、

“区切り”とは、前の状態から、新しい状態に、自分で変化させること。

“区切り”をつけたら、もう新しい自分なんです。

区切りをつける前の自分には、状況には、戻らないことを決めた、ということなんです。


この意味を理解して、実践できる確信が必要になってきます。


だから、ぼくは、「人の豊かさを実現できる自分になる」という区切りをつけたあとにやってきた、

「妻の入院」も、そこからテーマを感じて、区切りにしないといけないのです。

というか、区切りにして、成長するチャンスです。

(妻の病気がチャンスになって、ラッキーって感じではないですよ…)


このことから、ぼくが感じられるテーマは2つあります。

それは

「自分の広めたい理想のために、時間を凝縮させる働き方と生活」

「身近な人のことを考えながらも、広い視点を持って、学びや原動力に変えていく」

という、2つのテーマです。


1つ目のテーマは、こういうことや、想いで立てたテーマです。

娘の保育園の送り迎えや、お世話や家事を自分1人ですることにより、

確実にぼくが稼働できる時間が減ったこと。

その上で、提供する内容や密度が薄くならないようにしなければならないこと。

だから、時間とエネルギーを集中させて日々に取り組むテーマを立てました。


2つ目のテーマは、こういうことや、想いで立てたテーマです。

家事や育児、妻の快適な入院生活ばかりを考えるという、内向きばかり考えていたら、

あなたとの関係や提供するサービスに対して、おざなりになってしまうかもしれない。

だから、起きた現象を転用して、学びに換え、今後の資産にしていく。

そうすれば、誰かにとって役立てることもあるから、こういったテーマを立てました。



テーマを立てたということは、区切りもセットで必要になってきます。

今回のぼくの区切りは、もう、してあります。


いま、毎日、この立てた2つのテーマを思い浮かべながら、日々に接しています。


この区切りがあるから、ちょっと大変だったり、理不尽さを感じたとしても、

「イヤだなー」とか「えー…」なんてことからスタートさせずに、

「このテーマを乗り越えるために、順調に試練がやってきてるな」と、

そう思うことができ、心も折れずに、成長を目指していけるようになっています。


“区切り”とは選択です。

自分で選びとることです。

自分で選ぶことさえできれば、気持ちが乗ります。

そうすれば、あとは日々、丁寧に実践して、1日の終わりに評価して、

また次の日に活かしていけばいいのです。


これは、ぼくのテーマであり、区切りです。

あなたには、あなたのテーマがあります。

ご家庭のテーマもあることでしょう。


自分の人生も大切な人の人生も豊かにするには、このテーマを感じて、設定して、

乗り越えたり、取り入れたりして、

さらに、その前とは区切りをつけてみてください。

きっと、考えや感情の選択肢が広がるはずです。


ぼくにはぼくのテーマ、入院中の妻には妻のテーマ、現状の、娘には娘と家族のテーマがあります。

区切りをつければ、意志がかたまり、必ず前に進んでいくことになるでしょう。


まずは、テーマを感じて、志を立ててみてください。

そして、包み込むように、全体に行き渡るように、考え、区切りを実践してみてください。

あなたにも必ずできて、未来は確実に良くなります。

ぼくみたいな、元・ノリだけ人間でもできるんです。

大丈夫!あなたもきっとステキな未来が切り拓かれるようになります。


ということで、ストーリーパートの第2部を終わりたいと思います。

いやー、なかなか大変でしょ?

でも、この妻の入院期間で、今までの感謝の想いも実感してますし、時間の使い方も学べるし、

また、ひとまわり成長できて、また誰かに貢献できる力がつくなーっと感じてます!


ここまでで、

テーマを感じて、区切りをつけると、新しい未来の可能性を拓けて、自他ともに成長できることをお伝えしました。

もしかしたら、

「なんとなくわかったけど、そこまで大事にしないといけないもの?」

とか

「それをどうやって、子供に伝えて、実践してもらえばいいの?」

という、疑問もあるかと思います。


ということで、次からは、”区切り”の知っておいたほうがいい、意味や

お子様への伝え方やあり方を、お届けしていきます。


物事に”区切り”をつけて、過去から学びを得、未来へとつなげることができれば、

生活面でも、収入面でも、成長面でも、本当に得るものがあり、

実際、ぼく自身にもたくさんの恩恵をいただいております。


そんな秘訣と本質を、これからお伝えしていきますので、

ぜひ、続きもお楽しみいただければ、と思います。

“区切り”の本質とは
決断と過去との決別で
本来の未来へ向かうこと

人生のことあるごとに区切りをつけると、拓ける道の選択肢が多くなります。


逆に、区切りをつけなければどうなるのか?

過去の執着を引きずったままになるので、望むようなスタートを切れなくなります。

そうすると、結果も思わしくないないものになります。

そして、そこに区切りをつけないと、学びを得ることも、後悔も活かすこともできないので、

また、同じようなことで悩むことになります。


これは、次のステージへの準備をせず、地図を持たず、行き先もわからないまま、

進んでいくことと同じですよね。

「運まかせでいいじゃないか」と

思われるかもしれませんが、

運とは、準備を怠りなくした人の元へやってくるものです。


だから、準備という”区切り”を毎回していく習慣をつけた方がいいのです。


では、そもそも、”区切り”とはなんなのか?

ここら辺をお伝えしていこうと思います。



“区切り”

読んで字のごとく、「区」を「切る」です。

もう少し分解していきますね。


「区」は「く」と読み、
「口」も「く」と読みます。

「区」は「口」の右側が空いていて、「〆」(しめ)られているんです。

「口」とは、言葉を発して、想いや意思を伝えるもの。

その右側を〆られているんです。

文字は横書きだと、左から右へ書いて伝えますよね?

その右側が〆られている。

つまり、想いや意思が止められている状態なんです。


その滞り(とどこおり)を、「切」で切っているのが、

“区切り”です。


なので、”区切り”とは、留まっている想いや意思(意志)の〆を切ること。

つまり、新しい考えや信念をスタートさせて動かしていくこと、となります。


ここで大事なのが、「〆」られていたものを、切るということです。

まるで、今までラッピングされていた、想いや志の封を切り、

新鮮な気持ちで、迎えるような感じ。


こうやって、想いを新たに(改に)していくのです。


そして、以前の”区間”から新しくはじまる”区間”の〆られていた封を切りました。

そうなんです。

「区」を「切った」ことで、新しい”区間”(ステージ)がはじまるんです。


じゃあ、区切った以前のモノや想いや出来事は捨て去るのか?

というと、そういう訳ではありません。


まぁ、いずれ捨てるというか、手放すことにはなるんですけどね。

なにをすればいいのか?


それは、「踏まえて、活かす」のです。

人生で”区切り”をつけるにしても、材料がなければなりません。

その材料が、以前の「区間」(ステージ)なのです。


以前の「区間」(ステージ)で、なにかしらの結果や事象が起こっていると思います。

その結果から、テーマやメッセージを抜き出し、

踏まえて、次の区間(ステージ)に活かすのです。


ぼくの事例で言うと、

「人の豊かさを実現していく」

という理念に対しての、現実での実践の結果が材料ということになります。


ここで、ぼくは
「自分本位さが出ていた」
「自我が強くなっていた」
という

振り返りをしました。

※詳しくは、前章のストーリーを参照してください。

その結果、モヤモヤした、
「そうじゃないだろっ!」という想いが残り、

ステージを上げなければいけないという想いに至りました。


そこで、新たに
「人の豊かさを実現できる自分になる」という、”区切り”をつけたのです。


根底にある、「人や社会に貢献して、自分もたえず成長していきたい」という

想いを大切にしていこうと決意しました。

そして、現在、実践と実行をしているということです。

その結果、どういうカタチになるかはわかりませんが、

なんらかの実りや成果は得られて、

そこからまたテーマを感じ取れて、そしてまた、成長の道が見えてくるのだと思います。


ここで区切りをつけていなかったら、モヤモヤしたものを誤魔化し、

「まぁ、これでも別にいいや、特に困ることでもないし」と、

小さな「禍」(か)を残したまま、進んでいき、

いずれ大きな厄災に見舞われることになるでしょう。

(いままでの人生が、そんな感じで進んできたので(笑))

こういったことは、何千年も昔から知識としてまとめられています。

聖人や君子たちが残してくれた叡智には感服する次第であります。


こうやって、以前(昔)の区間(ステージ)から、学びをもらい、材料にし、

新しいステージへの
区切りをつけるのです。


ただ単に「やーめたッ!」ということとは、

次のステージへ向かうための「質」が大幅に違っているのがわかると思います。


なので、大切なことは、過去の考えや自分と、決別して、

新しい未来に向かうことを決断するということなのです。


というものの

「決断なんて、そんなホイホイできるものではないよ…」

そんなことを考えられると思います。


これ、本気で言うんですが、

そんなホイホイ決断してもいいんです。

なんなら、毎秒、過去の自分と決別してもいいくらいです。

もちろん、そこには一貫した理念や志は必要なんですが、

その理念や志のために、ステージの区切りをつけまくっていくのです。


こういうことをできるようになるには、かなり意識的な日々を過ごさないとむずかしく、

ぼくもまだまだ、修行中という感じです。

理解、納得、意志はあるけど、気を張っていないと、忘れてしまうレベルです。


じゃあ、どうすれば人生を豊かにする”区切り”を意識できるようになるのか?

区切りをつける、その方法とは?


それは、次の章でお伝えしていきますね。

Fake itからはじめる
あなたの最高の物語

前章では、”区切り”の意味や本質をお伝えしました。

また、”区切り”という決断は、いつでも行えることもお伝えしました。


この章では、どうやって実際に”区切り”をつけていけばいいのかをお伝えしていきます。

この方法は、たぶん、気がついてはいるけど、障壁があり、ブレーキがかかるものでもあります。


ですが、障壁やブレーキがあるのは、あなた個人のせいなどではありません。

ある意味、仕方のないことがあるのです。


そういった面も含めて、お伝えしていきますね。

きっとこれからの励みにできると思います。


では、人生が豊かになる区切りのつけ方です。

前章で、区切りは、過去のステージから新しいステージへ向かうためにする決断だと説明しました。

この決断が大切だということです。


「決断なんて、早々にできるものじゃない」

そうお考えかもしれません。

ぼくもそう考えていたから、決断する不安はよくわかります。


なにか特別な出来事や、タイミングがないと意を決することができない。

多くの人が、こういった状況にあると思います。


よくあるのが、新年の決意とか

誕生日の決意とか

こんな感じじゃありませんか?


こういう決意、決めて、これからやっていこうってなったときに

どれくらいまで、続きましたか?

ぼくは最長でも、2週間くらいです(笑)


しかも、その決意の内容って、大それたものではなく、

そこまで大したものではないんじゃないでしょうか?

今年はダイエットに励むとか、
朝、早く起きて、ジョギングするとか、
毎日、本を読むとか。

悪くはないし、素敵なことなんですが、

こういったことでも続きはしない。


まして、大それた変化の決意なら、そもそも決意すら立てられずに、

勝手に、自然に達成不可能としてしまう。


これは仕方のないことでもあります。

というのも、人間は変化に敏感で、なるべくなら、

いま現在の、落ち着いた状況や環境から離れたくないと考えているからなんです。

これは、心理学的に実証されているもので、

太古の昔からの生き残り戦略からきている、自然なものなんです。


心理的安全性を求め、居心地のよいところから離れたくない。

だから、未知数な挑戦で、結果が良くなるかどうかわからないことよりも、

不安や痛みは伴うけど、すでに現状に慣れているから、これ以上、不安なことは起こらないと認識できる、

「変わらない、いま」を選んでしまうのです。


はっきり言って、これじゃあ、なんの進歩も進化も改良もありません。

ただ、ズルズルとゆっくりと、豊かになれない沼にはまってるいくだけなんです。


とは言っても、決断して変化することはこわいですよね。

ぼくも、こわかったです。


決断や変化をおそれるのには、
もう1つ理由があります。

こっちの理由の方が、どうしようもないと感じる部分だと思います。


その理由とは

変化したときに向けられる、周りからの目。

これが、おそれになるとは思いませんか?


決断をすれば、変化は当然に起こります。

この変化は、人の目に触れるものになりますよね。

そのときに必ず、変化を妨げたり、引き戻そうとする周りからの圧力があります。


よく、高校や大学に入学のタイミングで、

今までとは違う性格や風貌になろうとしている人に、

「高校デビュー」や
「大学デビュー」と言って

冷やかしたり、揶揄(やゆ)する言葉を投げかけたりする光景を見たことないですか?


これって、

「そんなタイミングで変わっちゃても、意味ないのに、ダサくね?」

みたいな、感じを含んじゃっていますよね。


これ、その変わろうとしている人の意欲を削いだりして、

その人の足を引っ張る行為なんです。

そして、その言葉(非難や揶揄)で、言った本人の首も絞めている。

さらに、そのことに気がついていないのが、タチの悪い状態なんです。

変化をバカにした手前、いざ、自分が変わりたいと思ったときに、

自分の以前の行いによって、歯止めをかけられるというような感じです。

人は変わるのはダメで、自分はOK、とは普通なりにくいですからね。


こういった、周りの目があると感じてしまうから、

変化はこわいものだとしてしまうんです。


この理由に関しては、知性のない言葉は放っておけばいいのですが、

こと、思春期の年齢だと、そうもいかず、周りと同調してしまう。


区切りをつけて変化することが、背信行為のように扱われてしまいがちです。

これに対しては、変化を容認し、応援できる環境をつくることと、

お子様なら、正しい知識を伝えてあげて、選択肢を拡げてあげて、

あとは委ねることが最善だと思います。


一番ダメなのが、変わりたいと思うことを、悪いことだとしてしまうこと。

ここまでぼくの話を聴いてくれているあなたなら、人をちゃんと導くことも

大丈夫だと確信しております。


お察しの通り、

ぼくは、変化や挑戦に、理解しようともせずに、否定する考えや風潮を敵だと考えています。


だれかの変化や挑戦がなければ、今の生活は成り立っていないことを

重く受け止めて、
活かして行きたいですね。



では、この決断や変化をするための方法をお伝えします。

それは、

“Fake it”(フェイク イット)するのです。

意味的には
「〜のフリをする」
「〜のかのように振る舞う」

みたいな感じです。


これは、「よーし、今から区切っていくぞー」

っていうより、

区切る前から、区切っているかのようにするということです。


まるで、変化をする前から、または、決断をする前から

変化後の、決断後の自分でいるかのように振る舞う。

未来の、こうなりたい、こう在りたい自分に、

すでに、もうなっているかのように振る舞うのです。


自分の人生の脚本があるとしたら、

その脚本を先読みし、作者視点で、より良い未来になるために

変更を加えていく感覚。


こういった視点を取り入れてみることです。


言うなれば、自分がいま見ている視点の次元を上げること。

物語の主人公という目線から、
作者の視点へ移ること。


2次元の世界から3次元の世界へ視点を移すのです。

そうやって視点の次元を上げていけば、

それよりも低次元だった、前の視点での悩みや不安なことが

「えっ、こんなことで自分って悩んでたんだ。小さいなぁ」と

とても小さなものに感じられるようになります。


そうなれば、あとは楽に感じられるでしょう。


自分は自分の物語の主人公であり、

脚本家でもあり、演出家でもある。


周りの人や世界は、その物語における配役として、

物語を面白くするために存在している。


こういう見立てができるようになると、

“区切り”をつけて、物語を進めていくのは

主人公である自分であり、
物語を面白くする作者である自分だと、
認識できます。


そして、人生は最良の物語を作り、演じていくことだとわかったら、

いかに自分のこれからの物語を面白くしていくかを考えればいいのです。


面白い物語の要素というものは

すでに解き明かされていて、


その要素は、どの物語にも適用されています。


あらゆる物語とは、人生の縮図のようなもので、

そのメッセージ性は誰の人生でも、ある程度、共通するものなのです。


なので、区切りをつける瞬間というのは、

物語の新しい章の幕が開くとき。


その幕を、自分で開けるのか、

どうしようもなくなり、誰かや、状況や、環境によって、

無理やり開かれるのか。

区切りを自分でつけるとは、こういう違いがあります。


たいてい、勝手に幕をあげられるときっていうのは、

自分的には準備ができていなかったり、

予期せぬことのように感じられます。


それでは、せっかく来たいい流れに呑まれてしまい、押し流されるだけになります。

そして、難題に打ち付けられ、最悪、壊れてしまいます。


だったら、勝手に幕を上げられるのではなく、

自分の手で幕を開け、自分で物語を進めていけばいいのです。


困難やカベを、物語が面白くなる転換ポイントとして捉え、

乗り越え、好転させられるアイテムとして活用し、

成長していけばいいのです。


実際、ぼくも、なにか不都合なことや、
「うわ〜」ってなるようなことでも

「はい、物語の転換点来たな!」と考え

「じゃあ、次のパターンはこうだから、こうしよう」

「そうしたら、物語なら面白くなるし」

って感じで、捉えています。


実は、様々なものごとの起こり方と、その対応の仕方というのは、

2,500年以上も前から変わっておらず、

知っていれば、落ち着いて、ぶつかることもできます。

こういったお話は、また別のところでするとして。


大事なのは、最高傑作の物語の主人公としての自分と、

その物語の作者としての自分に


「Fake it」するということです。

そのようにして、自分で区切りをつける意識で、過ごせたなら、

本当に人生が充実して、豊かなものにできます。


ただ、間違っても、

「自分だけが可哀想(かわいそう)物語」にはしないことです。

これでは、何も行動を起こさないし、変化も拒む人生になってしまい、

その責任も取りたくない人生になってしまいます。


そんな逃げてばっかりで、そこから変化のない物語は、面白くないですから、

だれも関わろうとしなくなりますからね。


自分の人生の物語を面白くすること。

過去の辛かった出来事も、今とこれからを面白くするために必要な要素だったこと。


こう捉えられれば、人生に区切りをつけるための決意をすること自体が、

恩恵やギフトのように感じられると思います。


こういったことを、頭の片隅にでも入れておくだけでも、

いざという時に効果はあると思います。


少しでもお役に立てて、いただけたら幸いです。



そうは言っても、自分から区切りをつけていくことには抵抗がありますよね。

慣れないうちは、特にですよね。


そんなときには、

元からある”区切り”のイベントを活用していけばいいのです。

日本は区切りを大事にしている国だと、ぼくは感じています。

祭事ごとが多いのも、区切りをつけるためですよね。


小学校卒業も大切な節目のイベントです。

ということで、ここからは、

小学校卒業のイベントをどのようにして、区切りとして活用していけばいいのか?を

お伝えしていきます。

この理解があると、これから中学生になるお子様との接し方で

困ったり、悩んだりすることが減っていきます。

そんなお話です。


あっ、次からは、小学校卒業袴撮影のプロモーションにもなります。

興味のある方は、このまま進んでくださいね。

中学校に入る前に必ずつけておきたいお子様の“区切り”と、お子様だけではない親としての
“区切り”

小学校を卒業して、新たに中学生へと成長の階段を上がる、お子様。


だれもが当たり前のように通る成長の道ですよね。

だから、小学生から中学生への変化を、

生活環境が変わるくらいにしか、考えないのだと思います。


小学生から中学生への変化。

これは、心理学的にも大きな変化でもあるんです。

発達心理学では、小学生までを
「学童期」と呼び、

だいたい、中学生からは「青年期」と呼ばれる時期に
変わっていくのです。

(現在では、青年期は10歳から30歳までとなっています。)


青年期とは、もう大人と同じくらいということです。

そうなんです。

区分的には、まだ未発達とはいえ、学童期でいう、児童ではないんですね。


脳の論理的な情報処理能力でも、12歳と大人では、大差はないんです。


つまり、考え方や能力は子供というより、

大人に近しいということになりますよね。


小学校卒業には、そんな目に見える変化があるんです。

それは、しっかりとした”区切り”があるということ。

というか、しっかりと”区切らねば”ならないことです。


学童期から青年期への移り変わりで、

お子様への接し方にも

区切りをつける必要が出てきます。


どういうことか?

学童期(以下、小学生)の子育てを振り返ってみて、どんな感じでしたか?

ぼくの娘は現在、年長さんで、

来年度から小学校1年生になるからよくわかるのですが、

こんな感じなんじゃないでしょうか?

それは、

「手がかかる」ということ。

裏を返せば、小学生までの育て方として、

「手をかけて」育ててきたと思います。


しっかりサポートをしてあげて

危険をなるべく除いてあげて

ある意味、進む道を管理して

レールを敷いてあげるような関わり方。


行き過ぎると、主体性のない人格が育ってしまいますが、

まだ、1人で生きる知識がない時期なので、

当然の関わり方になりますよね。


ぼくも

「コレはよくて、アレはダメで…」と

年長さんの娘にルールを教えています。

つまり、

「真」(しん)なるもの
「善」(ぜん)なるもの
「美」(び)なるもの。

こういったことを、踏まえた、倫理観を

生きる知恵になるよう、
伝えていこうと思っています。

ここまでしたら、


こういった、関わり方は、小学生までにしておいたほうがいいのです。

というのも、

小学生時代が終わると、
次は青年期になるからなんです。

あなたにも経験はあると思いますが、

青年期(以下、中学生)からは

かなり、多感な時期になるからなんですね。


自我や自尊心、自負心というものが
膨れ上がったり、

分裂していったりと、成長においても

不安定な時期になってきます。


あなたも、親の言うことをあまり気にかけなくなった経験はありませんか?

そう、あの時期が来るのです(笑)


となると、当然、接し方も変わってきますよね。

では、どう接すればいいのか?

小学生までは、手をかける接し方。


中学生からは、

「目をかける」接し方が、良い関係を築くものになってきます。

アレやコレや、口出ししたり、手出ししたりするのではなく、

お子様、本人がすることを見守るような感覚。

手塩にかけて育てた植物が、今後どのような花を咲かせ、

どのような実をつけていくのかを、観察していく時期になるのです。


物語で例えるなら、

お子様は、冒険への準備を終え、

まさに、自分の物語を作り出すための、スタートを切ったところ。


親であるぼくたちは、よきメンター(師匠や賢者、観客)の視点で、

お子様の物語を追っていくのです。


目をかけるという言葉からも、

実際に見ていくというのが

大切だということです。


お子様が1人で解決できそうであったり、

自分の力で進めていきたいときには

その様子をしっかり見て、任せてみるのです。


そして、失敗したら、その失敗から
次への学びを教え、

成功したら、何がよかったのかを、大きくとらえて、

次にも活かすにはどうすればいいのか?

こういう風に促していく。


つまり、最初から親が表立ってはいけないのです。

もっと昔の時代では、15歳で元服とし、大人の世界へ修行に出されたりしていましたから、

そうそうに手を出してはいけないのです。


でも、目をかけているので、

お子様がどうもこうも解決策を見出せず、

困り、悩んでいるときには

そっと話を聴いてあげる。


こうすることで、お子様には見守られているという、安心感を伝えることができます。


気をつけたいのが、

大人が先を予想して、ダメだとか、

否定、避難、足止めをしてしまうこと。


「あー、このままだと痛い目みるなー」って
思っても

あえて、見ていてあげることが大切です。

その痛みがないと、学ぶことを怠り、

今後、もっと大きなカベが現れたときでも、

誰かに依存してしまうような生き方になる可能性もあります。


お子様の選択肢を狭めることが、かなりの悪影響になるので、気をつけたいことです。


かと言って、ぼくもそうできる自信があるのかというと、アヤシイところでもあります(笑)

気をしっかり持って、自分にも言い聞かせていかないとなって思います。



まぁ、かなりの確率で、お子様に

「なんで、言ってくれなかったの!」って

言われると思いますが、


先を見据えた、お子様の将来のために、

グッとこらえて、その罵りは受け取っておきましょう。


ということで、中学生からは

「手をかける」ということから
「目をかける」という

そんな区切りをつけていき、お子様の将来を

明るく輝くように照らしていきましょう。





小学生のままの流れでいると、

明らかに、いろいろな対応が変わってきて、

困ることも増えると思います。


区切りをしっかりとつけていたら、意識も向いていることもあり、

意図的に新しい幕を開けたという感覚もあり、

だから、新しいスタートもスムーズに切りやすくなります。


ちなみに、ぼくの小学生から中学生への区切りになったのは、

私立中学受験での失敗です。


ここで、失敗したおかげで、

何もしていない人と、目標に向けてすごく頑張った人とでは、

得られる結果が違うんだ。

何もしない人が、利益や恩恵を預かるような、理不尽な平等なんて、ないんだ。

こう思える区切りがついたんです。


受験には失敗しましたが、

いま思うと、この挫折からの学びが大きく、

ちょっと甘かった学童期との区切りをつけられたんだと思います。


当時ですが、小学生のノリで中学校に入った同級生たちは、

軒並み、小学校との世界の違いについていけず、

この時期にありがちな、劣等感を抱いているような感じがしました。


べつに、中学に入るまでに、ショックな出来事が起きればいいと言っているわけではありません。

ただ、区切りになるようなイベントは取り入れた方がいいと思います。


自分で、ご家庭で、お子様がはっきりと認識できる区切りを作り出せたら、

問題はありません。


こんなことを言っているぼくも、

何にもないのに、未来で中学生になる娘に、こんな話はできないと思います。


でも、これまでの物語に幕をおろし、

新しい章が始まる、
新しい場面に切り替わる、

そんな区切りはつけないと、いけないのです。


そのためには、日常では体験できない、

稀少で、しかもちゃんとした意味のある体験をしてもらうのがいいのです。

そこでうってつけなのが、

小学校卒業-はかま-撮影になります。


決して、受験に失敗する必要はないですよ(笑)


はっきり言って、女の子が袴を着る機会は

通常なら、多くて3回くらいじゃないでしょうか?

そして、そのどれもが、「卒業」に関係していると思います。


稀少な体験となり、このときに思ったことや、決意したことというのは、

必然的に印象にも残りやすく、だから記憶にも残りやすいものになります。


そして、その華やかな印象に残る姿を写真に残すこと。

このことによって、しっかり区切りをつけたという事実をも、

未来に残すことができるのです。

しっかり思い出すことができるようになるのです。


さらに、卒業袴写真は、

お子様に区切りの大切さと活かし方を
伝えるときの、

切り口としてのアイテムとして、使うこともできます。

そのときは、親である、あなたの”区切り”エピソードを一緒に伝えていくと

聴いてもらいやすくなると思いますよ。



印象に残しやすいことなら、わざわざ袴を着なくても、

ただ写真に残せば、それでいいんじゃないの?

と思われるかもしれません。


袴を着ることと、普段の洋服との違い。

この違いを深く理解することで、

得られるもの、拓ける道というものが変わってきます。


次の章はそんな、袴を着ることの本当の意味について、

お伝えしていきます。

小学校卒業で袴を着る
本当の意味

小学校の卒業の記念に
袴(はかま)を着ることに

どういう意味があると思いますか?


ぼくは表向きでは

「人生で3回もない稀少な袴を着る華やかな体験をしよう」

というような感じで、出しています。


そして、今回は、

もう少し踏み込んだ、

袴を着るとは”区切り”をつけること

という意味をお伝えしています。


実はそれだけでもないんです。

さらに踏み込んだ内容があるんです。

そして、この、さらに踏み込んだ内容を

想いに乗せて撮影していこうというのが
本心のところでもあるんです。


なので、最後にはなるんですが、

かなり大事なことをお伝えしていきますね。


最初に、言っておきたいことがあります。

それは

「見立てる」ということを
意識してもらいたい、ということ。

「見立てる」とは

正しい、間違いという

100%どっちか!という判断や思考ではなく、

「こういう見方をすれば、幅が広がり、今まで気がつけなかった選択肢も、増えるよね」

っていう、考え方です。


この「見立て」ができるだけで

いったん、出来事や問題の上に立つことができるので、

本当に人生の幅が広げやすくなります。


では、ここからは、「見立て」を意識して、

進めていってもらえたらと思います。



小学校卒業袴撮影では、

普段のお洋服から、袴姿に「衣」装(いしょう)を変えてもらうことになります。

そりゃ、そうだろう…

では、なぜわざわざ衣装を変える必要があるのでしょうか?


衣装を変える。

ここに、本質的な意味があったりするのです。


あなたは、普段の生活とは違う、意を決したイベントの場合、

衣装はどうしていますか?

たぶん、平服ではなく、それ用に衣装を変えていることだと思います。


何か決意をするというときに、

「襟(えり)を正す」という言葉を使いますよね。

ピシッとして、ものごとに向かい合うというような意味合いです。

この、「襟を正す」は、

衣服を整えるという行為です。


ということは、「衣を正す」となり、

さらに、衣(い)は、自分の意志を外へ表現するものだから、

そのまま「意(い)を正す」とも、読み取れるのです。


なので、衣装を変えるというのは

自分の意志を正して、まっすぐにし、

外へ向かって表現するということになります。


これは、先ほどまでのお話にある

“区切り”をつけることと、ほぼ同じ意味なんです。

おさらいとして、

“区切り”は前のステージから新しいステージへ向かう、志や意志の表れです。


だから、区切りをつけないといけない、

小学校から中学校へのお子様の成長として

「襟を正して」=「衣を正して」=「意を正して」

衣装を変えて、区切りを表明していくのです。


いや、だったら、フォーマルな格好でも

衣装が変わっているから、よくないですか?

と、なると思います。


はい、問題ありません。

「意」が変わって、決意や志が立てられれば、大丈夫だと思います。


じゃあ、なんで袴を着る必要があるのか?

これは、立てた決意や志をより、神聖なものとして、扱うという、見立てになります。

こうして、神聖な見立てを行うと

イメージが記憶に残りやすくなり、

より、決意や志に沿った過ごし方を
しやすくなるからなんです。


神聖な見立てとは、なに?

こうなると思います。


ご説明しますね。


洋服でも袴でも着物でも

「身体」(しんたい)にまとうものになりますよね。

日本では、「身体」は「御神体」(ごしんたい)として、

私たち一人一人が神様に成り代わって、お役目を全うする

という考えがあります。

日本には、古くから神道というものが根付いており、

切っても切れない関係となっております。

これが、日本人の精神性の高さとなっています。


「いやいや、私、無神論者なんで…」

そう思うかもしれません。


ですが、そういうことではないのです。

あくまで、昔からの美しい生き方としての教えなんです。

ごはんを食べるときに
「いただきます」って言ったことはありますか?

これも、神道なんですよ。


っていうくらい、日本人に根付いている教えなので、

目を背けたり、否定したりするのではなく、

そういう風に「見立てて」考えてみることは大事ですよね。


話が逸れました。

身体は御神体。

この御神体である人間が、大きな”区切り”をつけて(決意や志を立てて)

ものごとに当たっていく。


そうなると、「衣を正す」にも、それにふさわしい、格好が必要ですよね。

それが、袴になるんです。


神社での神主さんや、巫女さんを想像してみてください。

神様にお仕えするときは、基本、袴が正装になります。


神前式での結婚式も、男性は袴ですよね。

これは、神事(かみごと)なので、正装として袴を着ています。


ということで、御神体でもあるお子様が

中学生になるという大きな変化を迎える。

そのために、大きな”区切り”を、正装をまといながら、行っていく。


そして、これからの人生を成就するように、

功徳(くどく)を頂けるようにしていく。


これが、袴を着る意味になり、

そんな写真を残して、お子様やご家族様の、これからの励みにしてほしい、という

ぼくの想いや願いでもあります。


このコンテンツも

少しでも、皆様に恩恵が得られるように

祈りながら、作成してきました。


実際に、小学校卒業袴の撮影をお願いされなくても、

このコンテンツの内容が伝われば、それだけでもいいと思っています。


ここまで、お話を聴いてくれたあなたなら

何か感じ入るものがあると思いますので。

そのほんの少しの、感覚的なものだけでもいいので、

これからの糧にしてもらえれば、嬉しいです。


もし、「袴撮影もいいなぁ」って感じてもらえたなら、

ぜひ、私たちにお任せください。


2022年4月10日(日)までなら、8,800円の

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また、スタジオフォトアライ・ジュエのホームページの

小学校卒業袴撮影ページにて、

専用の写真プレゼントのクーポンを
ご用意しております。

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お子様とご家族様のこれからの繁栄を願うという、想いを持って、撮影させて頂きます。


ご縁がありましたら、また、撮影でお会いしましょう。

そのときを楽しみにお待ちしております。


それでは、今回はこのへんで失礼します。

最後までご覧いただき
ありがとうございました!

スタジオフォトアライ・ジュエ
店長:荒井ゆうすけ


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https://www.studio-arai.com/

実際の撮影したお写真がたくさんの
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