人生の原動力になる理念とは

人の人生を動かす理念とは?Part1(志し編)

ご覧いただき、ありがとうございます。

三重県松阪市の写真スタジオ
【スタジオフォトアライ・ジュエ】店長で

リッチベクトルクリエイターの
荒井ゆうすけです。

今回の記事の目的は…

  • たとえ個人であっても、世の中を変えるための「理念」を持てるんだ、と知ってもらうこと
  • 「理念」を立てて、実行していくためには、なにが必要なのかを知ってもらうこと
  • その「理念」を臆することなく発表して、あなたの共感するかしないかの判断のもと、提供するサービスを受けるかどうかを決めてもらうこと

最初に質問させてください。

あなたは、今の社会環境や風潮が続けば、

未来は明るいと思いますか?


このままの延長で続いていく世界を
「明るい未来だよ」と言って

お子様に笑顔で渡せると思いますか?



今回は

これまで、全部は話してこなかった

ぼくの人生における、理念(想い・目指す理想)のすべてをお伝えします。

ぼくの理念=スタジオフォトアライ・ジュエが目指す理念であり、

運営・活動する指針ともなります。


すなわち、現在、ぼくたちのスタジオを利用しているお客様、

これからご利用いただくお客様にも
関わってくる大事なことですので、

想いの部分に隠しごとがないように
伝えていきます。

人生を動かすために必要な要素も
知ってもらえるように伝えますので、

ゆっくりとでも、時間をわけてでも構いません。

最後までご覧いただければ、幸いです。

記事は複数回に分けて、

今回はPart1(志し編)としてお届けします。

Part2(展開編)はスタジオフォトアライ・ジュエとして、なにをどう考えて、実践しているのか?

どう、人の豊かさを実現していくのか?

ということをお伝えしていきます。


まずは、Part1(志し編)をご覧ください。


さて、いきなりですが、

ぼくの人生における使命とも言うべき
理念(価値観)をお伝えします。

それは

【人の人生を豊かなものにする】

というものです。

十数年間のスタジオ営業という実践の場と

数千時間の学びを経て、

導き出した、理念であり、価値観となります。


この理念があるから、活動を行い、

ときに失敗しても、想いに立ち返り、

失敗を吸収して活かしたりできています。


その結果として、

ぼくの撮影だけでも、2万組以上のご家族様に記念日の写真を提供でき、

収益としては、億をゆうに超える金額を

みなさまのおかげで、個人事業として売り上げることもできました。

これくらい「理念」とは、人の原動力として、

大切なものなのです。


こういった理念を持つことは、なにも

事業を運営していくためにある、だけではありません。

あなたが人生を充実させるためにも必要ですし、

お子様と家族の未来を作り上げていくことにも必要ですし、

子育てにも、もちろん深く関わってきます。


こういったことで、この【人の人生を豊かなものにする】という理念をもって、

スタジオフォトアライ・ジュエという
写真スタジオ業では

“お子様やご家族に、写真を通じて豊かさを提供していく”

というミッションやビジジョン(理念)に
置き換えて

運営を行なっています。


この理念の根幹は、「人」そのものの「豊かさ」の実現を願うもの。

“豊かさ”の中には

「そのときが豊か」である
一時的な豊かさと

「これからもずっと豊かに生きていける」
という

永続的な繁栄を意味した、豊かさがあります。


こういった”豊かさ”を実現するために

個々の人間力を高めていけるような
情報を発信したり、

写真という、豊かさを表現できるものを

一つの手段として、歩んでいるということです。


では、あなたを含めた、ぼくたちが目指していく豊かさには、なにがあるのか?

ぼくは、こう定義しています。

豊かさとは?

  • 安心して生活でき、夢や願望を叶えられる「経済的豊かさ」

  • 夢や願望を自由に思い描き、誰かのために道を進んでいく意志を作れる「精神的豊かさ」

  • 夢や願望を成就させるために、自ら生み出せる「時間的豊かさ」

  • 上記3つの豊かさを、現実的にも精神的にも、自在にコントロールする「物語的豊かさ」

  • さらに、これらをもすべて統合し、燃料とできる「真の知性的豊かさ」

    (この総合的なものが”人間力”だとしています)

こういったものを

“豊かさ”だと定義しています。

どれが最優先事項で…というものはなく

すべてが大切なことだと考えています。

(こう取り組んでいったらいいかな、という順序はその人の状況によって、ありますが。)


じゃあ、ぼくは、これらすべてを抜かりなく
実践できているか?

というと、そんなことはありません。

この定義は、ぼくがこれまでに学んできたこと

体験してきたことを通じて導きだした、

いま現在の、一種の悟りのようなもの。


この学びと実践に、終わりはありませんし

終わらせようとも思っていません。


ただ、こういった想いを軸に持っていないと

人は真に生きる力を発揮し、

輝きをもって人生を使い果たすように、生ききることはできません。


ぼくが挙げた5つの、”人の豊かさ”が

1人1人に行き渡ったたら
世の中はどうなっていくと思いますか?


ぼくは、これらの豊かさが、実現できると、

ある社会的な構造が「なくなる」と考えています。

その「ある社会的な構造」とはなんなのか?


それは、

【支配する側と支配される側の対立・搾取構造がなくなる】

です。

いま現在、ぼくたちは

「資本主義」という世界線の、さらに、その谷や溝のような綻(ほころ)びの中に生きています。

ここで細かな、資本主義とは?みたいなお話は避けますが、

(それぞれが定義することが大事!)

ぼくは、このまま破綻(はたん)が見え隠れしている世界を

騙しながら、ツギハギしながら

進んでいるのが、「いま」だと感じています。


ぼくたちの生活には、ある程度の豊かさは

循環しているように見えますよね。


大半の人は、別に、食べるには困らないし、

住む場所にも困っていない。

今を「楽しさ(限定的な快楽)」だけで生きようと思えば、

そうすることもできる。


自分たちは、とくになにもしなくても

偉い人たちが、勝手に(最終的には)いいように、収めてくれる。

そして、ときには、権力(に見えるもの)に不平不満を口にして、

世の中を糺(ただ)した気分になり、

たまに主張が認められて、正しいことをした気分になる。

そういった状態に、ちょっと満足してはいませんか?

この「ちょっと満足」している状態が

もしかしたら、考える力を停滞させているかもしれないのです。

(ぼくが少し怒っているように見えますか?

隠さず言うと、その通り、憤りは感じています(苦笑))


「ちょっと満足」した状態って、どんな感じですか?

なんだか、良さそうに思えますよね?

これが、実は「ちょっと危険」なのです。


「いや、人は満足感を持って生きていくのが、いいんじゃないの?」

そう思われるかもしれません。

もちろん、満足感は大切です。

ある環境、ある状況においては、です。


でも、この「満足感」、いいように与えられている気がしませんか?

っていうことなんです。

どういうことかというと、

人はちょっとの満足感を感じている状態のときは、

その満足感を手放したくなくなるんです。

寒い冬の日のこたつのようなもので、

ほどよく温もって満足しているときは、トイレに行きたくても、

結構、ガマンしちゃったりしませんか?

つまり、新たな満足感を探究するより、

現状の満足感を維持する方向に、モチベーションが働きます。

みたいな感じ。
(なんとか伝われ!)


こういうふうに、「その現状の満足は、見せかけとして、満足するように仕向けられていませんか?」

見せかけの満足を維持させられるように、

コントロールされていませんか?

それで、本当にいいんですか?

ということが問題だと思うんです。


「満足感」は自分で、「これで満足だ!」と

作り出せてこそ、有意義なものになります。

与えられた、そう仕向けられた「満足」は

支配や統制のための道具であり、

その結果は、程(てい)のいい”搾取”になっているのです。

誰が?と問われれば、搾取して得をする側。

まぁ、「誰」といよりは、「風潮」や「流れ」や「空気感」という

今まで、人が作り上げてきた、一種の文化のようなもの。


その実(みの)りとしてできたものが、「格差の増大」なんだと思います。

間違いなく、明らかに、「富」のほとんどは

より貧しいところから、より富んでいるところに集まり、

今のままでは、それらが変わることはないのです。

貧しい状態から脱しようとする、その意思と行動でさえ、

富が富み栄えるための手段として
使われているようにも感じます。

そして、貧(ひん)すれば鈍(どん)する
というように、

力がなければ、動けなくなり、考えられなくなり

(正確には、動くことをあきらめ、考えることをあきらめる)

また、資本主義の綻(ほころ)びを増長する、歯車の中に組み込まれていくのです。

(人の歴史とともにある、ウィルスですら、道具として手中に収め、利用している)


誤解をしてほしくないのですが、

なにも、「資本主義は悪だー!」なんてことを言っているわけではありません。

その逆(あえて言いません)が、いいんだ!とも言っていません。

むしろ、資本主義ではあるけど、

その中に無思考に組み込まれるのではなく

自分の中に資本主義のいい要素を組み込んでいき、発展させる。

こういう考えを持っています。


もしかしたら、ギリ、資本主義はぼくが生きているときに終わりを迎えて、

新しい(メタバース的な)経済や生き方が主流になるかもしれません。


たぶん、資本主義的な構造は残りつつ、新しく、経済圏の主体が個人やコミュニティに移っていく

こんな感じになると思います。

そんな世界(資本主義が続こうが、新しい世界に変わろうが)に、変わろうが

これからも、これまでも、変わらず豊かに生きていける要素が

人の人生を豊かにしていこうとする道を歩む

人間が持っている”人間力”なのです。

“人間力”を高めて、誰かのために行動していこうという人は

支配に屈せず、搾取に対抗でき、

行動から得た富を循環させるように、

社会へ行き渡らせることができるようになります。

そして、その結果、自分やお子様や家族にも、

その豊かさが還(かえ)ってくるのです。


そのためにぼくが作っていきたくて、

そして

まだ幼い娘に渡していきたい世界が


1人1人がなにも気にすることなく、豊かさを目指していける

“人間力の高い”世界なのです。


ここまでが、ぼくの個人的にも、組織的にも

「こうしていきたい!」と軸として持っているもので、原動力にしているものです。



(ここまでが長くなりましたが、全部話すって言ったから、大丈夫ですよね?(笑))

(全部話すと言っておきながら、核心的なことは、頑張って別の表現にしています。)

(だって、ヤバイ人っぽく思わられたら、もう見てくれないでしょ?(苦笑))

(ここまでのことを、漢字3文字でまとめることもできますが、それは機会があったら、直接聞いてください。)



そして、その目的を達成するための

手段の一つとしてあるのが、

現在、運営している

スタジオフォトアライ・ジュエという

地域の写真スタジオなんです。


写真スタジオとして、または写真を通して

どう人の豊かさを実現していくのか?

どういう手段と考えで、豊かにしていくのか?

学びとして大切なこととは?


こういったお話は、次回以降の

Part2(展開編)でお伝えしていきます。

もし、ご覧いただければ、励みになりますので

よろしくお願いします。

ということで、今回はここまでです。


あなたの心と人生が豊かなになりますように。

リッチベクトルクリエイター
荒井ゆうすけでした。

ありがとうございました。