人生の原動力になる理念とは

人生を豊かにするために大切にしないといけないものとは?(理念Part2:領域展開編)

今回もご覧いただき、ありがとうございます。

三重県松阪市の写真スタジオ
【スタジオフォトアライ・ジュエ】店長で

リッチベクトルクリエイターの
荒井ゆうすけです。

今回の記事の目的は…

  1. 人生が豊かになるために、全員が目指すべきこととは?

  2. ぼくが自らの行いによっておちいった、「鬱(うつ)手前」の状態から、なにによって、復活できたのか?

  3. 写真で人生を変えるには、どうすればいいのか?

という内容でお届けしていきます。

前回の記事では、

「人の人生を動かす理念とは?」
(Part1:志し編)という、

ぼくと、スタジオフォトアライ・ジュエの

これから成(な)していきたい

人生を動かすための、共通の理念について
お伝えしました。

人の人生を動かす理念とは?Part1(志し編) ご覧いただき、ありがとうございます。三重県松阪市の写真スタジオ【スタジオフォトアライ・ジュエ】店長でリッチベクトルクリエイターの荒井ゆ...

今回は、そのPart2:領域展開編←(流行りの呪術廻戦にあやかった名前 笑)として

人生が豊かになるために、全員が目指していったほうがいいことを

ぼくの実体験も踏まえてお伝えしていきます。


ちょっと長くなりますが、

人に初めてお伝えする、かなりナイーブなことも書いています。

もちろん、豊かさに有用な学びも意識して、入れ込んでいます。

1人だけでも、心に勇気の火が灯ってくれたら!という気持ちでお伝えしますので、

ゆっくりでも構いません。最後までご覧いただければ、幸いです。



松阪市のスタジオフォトアライ・ジュエは

おかげさまで、創業32年目を迎えることができました。

2010年には、松阪市の隣の市で三重県の県庁所在地の、津市に

jouet(以下、ジュエ)という、ぼくが運営する

写真スタジオもオープンさせることもできました。

ぼくと、現在のスタジオフォトアライ・ジュエの理念であり、

作り上げたい理想の世界である

【人の人生を豊かにする】は

ジュエを運営中に志(こころざ)したものなのです。


ジュエを運営していた約10年間での

体験からくる学びや悟りがあって、

今のぼくと、スタジオフォトアライ・ジュエの哲学や思想となっています。


今でこそ

「人の人生を豊かにしていく、そのために必要なのは、自分の人間力と、

その真(しん)なる人間力が人々に行き渡って、全員が実践していける状態を作ること」

と、信じていますが、

この確信は、

ぼくが、自我だけで行動し、打ちひしがれ、

学び、復活し…

という経験をして、培(つちか)ってきたものになります。


そして、その培ってきたものを、

みなさまの大切な写真撮影に融合するように

現在は、スタジオの営業を続けさせてもらっており、

撮影ご家族様組数がジュエを同時に運営していたときだけでも、2万組様以上で、

リピート率70%〜85%という成長もさせてもらっております。

現在は、ジュエ単体は閉店しており(おめでたい理由により)

松阪市でもともと運営していた、スタジオフォトアライと、想いや哲学、技術などを統合し

スタジオフォトアライ・ジュエとして、
運営させていただいております。


移転当初、津市から松阪市にジュエが移動することにより、

「距離が遠くなってしまったジュエのお客様は、10%くらいしか、また来てもらえないだろうな」と

そう考えていました。

なぜなら

人が写真スタジオを選ぶ基準の統計というものが出ておりまして、

その1位は「近所にあるから」という事実があったからなんです。

しかし、嬉しいことに、

松阪市に移転後の最初のお客様の撮影が

ジュエでずっと撮影させてもらっていた、お子様であったり、

ある日曜日では、撮影件数7組様のうち、

6組様がジュエのお客様であったりと、

当初の「10%くらいかな…」という

予想を見事に打ち崩してもらいました。

中には、2つや3つも離れた市から
わざわざご来店いただいたり、

ぼく(店長)指名で撮影をお願いしてくれるお客様もみえます。

(後輩もだんだん頼もしく育っているので、指名してあげてください!)

#そもそも指名制ではないですが笑


2021年の8月には、(二八と言って、2月と8月はお客様が来ない月と言われています)

コロナという情報ウィルスが猛威を振るっている中でも、

土日祝日、平日にかかわらず

「もう撮影がこれ以上、入らない!」というくらい、

みなさまの記念撮影をさせていただきました。

(もちろん、コロナ対策は万全の状態で!)

どれくらいの繁盛かと言うと、

過去の8月の絶好調だったときの、約2倍の撮影件数があったのです。

これはひとえに、みなさま多くの方のご協力のおかげであり、とても感謝しております。


たまに、お客様や、取引先さんに

「実際に写真を撮るという、対面が必須のお仕事だから、営業が(コロナで)厳しいんじゃないですか?」

と、言われることがあります。

実際に、廃業に追い込まれてしまったところも
あります。

ぼくたちも、県の要請を受けて、営業を停止せざるを得ないときもありました。


それでも、想いを貫くように活動をしていれば、

お客様は、ちゃんと反応してくれるということを知っています。


例えば、どのような活動をしているのか?


ぼくは、お客様の記念写真を撮影するときは

見映(みば)えだけが良く見えるような

気持ちでは撮影はしていません。


記念撮影の奥にある事実的な背景と

個々のご家族やお子様の背景を感じ取って、

写真を未来に活かせるものとするように
撮影をしています。

(背景=事情や歴史や想い)

もちろん、記念や節目を演出として彩(いろど)る、

煌(きら)びやかな衣装や、雰囲気がしっかり伝わる撮影セットは必要です。

しかし、そういった、衣装やセットも

「こういう想いで」という
理念や哲学のなかにあって、

その想いを表現し、伝えるためにあるものなんです。

そして、撮影では、ご家族様の”想い”と

ぼくたちの”想い”を融合させた

「空気感」とか「温かな体温感」というものを

写す(移す)ようにしています。


だから、ただ単に、

「衣装が多ければいいだろう」

「自分がこういう雰囲気が好きだから、コレしかしない」

とか

「セットをとにかくイマ風にしておけばいいだろう」

という、安易な撮り手の自我を満たすだけのやり方はしていないんです。

「鬼滅の刃」風の衣装を取り入れているのですが、

これらのも、ただ流行っているからというだけでなく、

しっかり「背景」とメッセージを理解して、

しかも、ご縁がつながるように、あらわれてくれたから、取り入れています。


このように、一つ一つのものごとに対して

じっくり突き詰めてまでも、

ぼくたちが、していかなければならないことがあります。

この僕たちが考えていること、していくことが、

これからの人の人生が豊かにできる生き方に、つながってくるので

これまでは深くはお伝えしてきませんでしたが、

このお手紙を通じて、お伝えできたらと思っています。

真・善・美を通した生き方で人の人生を豊かにする

ここまでのお話で

ぼくが順風満帆にやってきたと、思われるかもしれません。

でも、人には様々なストーリーがあって
今のその人があるというように

ぼくも決して、楽チンで
平坦な道を歩んできたわけではありません。

そして、ぼくにも、生涯を通して、改善していかなければならないものがあります。

誰にでもある、「欠点」とよばれるものですね。

どんなものか?

それは、「自我へのとらわれ」です。

この誰にでもある、自我に強くとらわれたことにより、

鬱(うつ)手前まで、精神と身体の状態が悪化したこともあります。

(危ないと感じたから、実際に、心療内科まで行きました)

そして、実は、この経験のおかげで

人生を豊かにするのに大切なものがわかり、

いまは実践と発信を通して、

価値をお届けする活動を行えているのです。


ここからは、ぼくが、どう強い自我にとらわれ、どんな状態になってしまったのか?

そこから、どんな学びを得て、変わっていったのか?

を、ストーリーとしてお伝えしていきます。

豊かな人生で大切な、「復活する力」についても、知ってもらえると思いますので

恥をしのんで、お話していきます。

続きもよければ、ご覧ください。


ぼくが強くとらわれていた自我

それは、「自惚れ」(うぬぼれ)です。

この「自惚れ」があったせいで、どん底の状態まで落ちましたし、

「自惚れ」があったおかげで、大切なことを学び、活かしています。


ぼくは小学6年生から、高校3年生まで、
学校の成績は良くて、

大学選択時には、無試験で東京理科大学を薦められるくらいでした。

(指定校推薦という、数名の成績優秀者だけが使える推薦受験)

(結局は、東京理科大学は荷が重いと感じ、地方の大学にしました。)

#決して自慢じゃありません
#あとでちゃんとくらいます



大学でも、自分で言うのはアレですが

意外に人懐こい気質なので、

「人気」というものはありました。

こういった要素もあり、

写真スタジオで写真を撮り始めてからの
習得率も高く、

(最初の練習での写真は、ヒドかった 笑)

写真コンテストで、若造でも準グランプリを獲ることができました。

そして、なまじ、知識を仕入れる勉強や努力も好きだったから、

いろいろな、経済的に利益を出す方法も勉強しており、

前章でお話した、津市のジュエをオープンさせたときも、

3日で40組の撮影の予約をいただくこともできて、華々しい結果を残すこともできました。

ぼくは、自分1人で、

集客もでき、HPを作れ、チラシなどのデザインもでき、撮影もでき(高価な商品を売ることができ)、画像編集もでき、勉強することもできる。


20代のぼくは、そりゃ自惚れましたね。

このときが、人生で一番、自惚れていたんじゃないでしょうか?

自我もMAXに高まっていき、

「オレのやることがぜんぶ正解なんだよね〜」

みたいな感じで、かなり自信過剰でした。


人生において、自分に自信を持つことは決して悪いものではありません。

むしろ、ものごとを進めていくときに、

この自信があるだけで、成功ができる仕組みも脳科学的に証明されています。


ただ、ぼくの場合は、その自信が過剰でした。

ものごとは、中庸(ちゅうよう)という、バランスが調和している状態がよく、

どちらかに偏りがあれば、弊害をきたすのが世の常です。


もちろん、いい撮影や、いい写真を提供して、

お客様の思い出を彩りたいという想いはしっかり持ちながら、

日々の営業はさせてもらっていました。

ただ、考え方に自惚れがあって、

「ぼくのやり方や表現が最も良いんだ」

と、しちゃっていたんです。

なまじ実績も出して、新店舗オープンのスタートダッシュもキメられたから

自分の見せかけの独善的な万能感に酔ってしまっていたのです。

しかも、撮影や写真以外の場だと、

考えるのは自分のことだけで、かなり自分本位。

そんな人、どう思いますか?

はっきり言って、応援しづらいですよね。

そういった、空気感がやはり、流れていたのでしょう。

新店舗オープンの勢いがおさまってきたくらいから(2年目くらい)、

だんだんと(当然ですが)、お客様の入りが、繁盛期以外で少なくなりはじめました。

まぁ、お店としては、よくあることだとは思いますが、

自我がMAXだったぼくは、当然、焦り、

自分自身が否定されたかのように感じはじめます。

こうなったら、大変。

今までの過剰な自信が、そのまま反転することになりました。

そして、厄介なことに、ぼくは責任感は強く、

「この失敗は自分で取り返さなきゃ」

「1人で起死回生の策を練り、実行しなくちゃ」

と、だんだん空回り思考になっていったのです。


「自分の努力がまだまだ足りていないんだ」

「このノウハウはもう古いから成果は出ないんだ!また新しく勉強しなくちゃ、置いていかれる!」

と、自分を追い込んでいきました。

そうやって、周りを見ずに

自分だけのことを考えていたのです。


ちなみに、お店としては、閑古鳥が鳴くほどのマズイ状態ではなく、

ちゃんと機能していくくらいには、お客様にご利用いただいておりました。

ただ、ぼくの自分に対する基準値が高く、

その基準値を超えられないイコール、「ダメなこと」としていました。

そうして、理想の自分像と現実が乖離(かいり)していき、

思考は焦り、焦るから短絡的なものの考え方になり、

行動は精細を欠き、結果を出せなくなり、また思考は焦り…

と、負のスパイラルにおちいってしまったのです。

そして、そういったことは、

自分のせいではなく
周りや世の中のせいだ、

と考えるようになってしまっていたのです。

いま思うと、「なんて愚かなヤツだったんだ」と、思います。


そして、ついに訪れた、トドメの人間関係の不和(ふわ)。


この頃は、これまでの自惚れが反転しており、

自分に対して、本当に自信がなく、

自分は人生の落伍者(らくごしゃ)のようだと感じていたんです。

自分の中では、失敗続きで、
健全な自己像を保てなくなっていました。

しかも、

「こんなに頑張っているんだから、だれか認めてよ」

というような、憐れな態度をとっていたのかもしれません。

そういった様子から、何かを任せるのは不適格な存在と認識されていたのでしょう。

リーダーとして、ふさわしくないと思われたのでしょう。

簡単にいうと、めちゃくちゃナメられていたのだと思います。

そんな状況で、挙句の果てには

「自分なんて、所詮この程度の人間なんだ」

「一日が波風立たず、誰にも責められず、平穏に終わりますように」

こんな様子で、ビクビクしながら過ごしていたのです。

おもて面(づら)では、明るく平気なようにしていましたが。

もう一度言います。

この間もお客様には選ばれており、

実際は、ダメダメな(ブラックな)運営はしていませんでした。

自分の意識ひとつで、こうも人は弱くなるのです。

そして、絶頂から、どん底へ落ちていったのです。

その頃は毎日

「今日はどんなダメな評価を下されて、どんな自分に対する不平を聞かされるのだろう」と

人の顔色を伺うような思考と言動が離れなくなりました。

ふとんから出ることが怖く、

いっそのこと、病気にでもなって、もう外に出なくてもいいようになりたい。

そんなことまで、本気で考えていました。


言いたいことも言えずに、

どんな判断をしても、絶対に文句を言われて、無能だとバカにされる。

そんな風に思っていたのです。

毎朝、泣きながら、胃を痛めながら、

なけなしの責任感と気力を振り絞りながら、職場に行っていました。

ここまで、話したのは、妻以外には初めてです。


そんな自分的にはボロボロで、どん底だったある日のことです。

それは突然、感じました。

普通に持てる全力でお客様の撮影を終えたときに、

そのお客様にかけられた

「すごくいい写真を撮ってくれて、本当にありがとうございます!とても嬉しいです。」

という、幸せそうな温かな笑顔の言葉。


この言葉をかけられて、ぼくはこう感じたんです。

今までは、辺りも目の前も真っ暗で、どこまでも暗闇が続く空間。

その空間に、クサリと錠(じょう)がいくつもがんじがらめにかかっているドア。

そのドアの錠が、ファっと消えていき、

クサリがスルスルとはずれて、溶けていく。

そして、ドアがゆっくり開き、

温かい光が、闇の空間に入り込み、自分が包まれていく。

そして、未来で人々がぼくに笑顔を向けてくれている。

そんな未来の記憶なのか、妄想なのかというビジョンを、一瞬のうちに見たのです。


今でも覚えているあの感覚。

自分の胸から、なにか光のようなものが生まれでてくるような感覚。

その感覚を誰かに渡したくて、仕方がない衝動。

気がついたら、ぼくは涙ぐみながら、そのお客様に

深々と頭を下げ、お礼をしていました。


そのお客様が決して特別だったわけではありません。

ご来店いただく皆様にも、温かく、声をかけてもらっていました。

そのときに、まるで、走馬灯のように、

喜んでもらった人たちの顔が、頭の中に流れ込んできたのです。


そして、直感的にわかりました。

「ぼくは、こういった、日々の生活を幸せにしようとしている人々のために生きているんだ」

「毎日が大変でも、ささやかなことに喜びを見つけられる人を、しっかり支えるんだ」

「只今(ただいま)も成長し続けているお子様に、幸せな未来をつくり、渡すんだ」

「そして、さっき見た未来の笑顔の記憶を、現実のものにするんだ」

こういう想いに、パーンと変わったのです。


主に女性に対してなんですが、そのときは出会う方、すべてが

女神様に見えました。


そこからですよね、変わったのが。


一応、これまでの精神状態が病んでいるという自覚はあったので、

心療内科を受診しました。

でも、ぼくの胸には(心には)光が射していたので、

結果は、鬱(うつ)ではなく、

「あんたならやっていける」←お医者さん談

と言われました。


「いや、最悪の結末という、行くところまで行こうとしてたんだけど…」とも思いましたが、

これで、踏ん切りがつきました。


頭は冷静、胸には勇気の光。

以前の自惚れという、自我MAXじゃない状態。

言わば、自分1人のためだけに展開していた独自の領域を、

自分1人のためだけじゃなく、関わる人たち、みんなを守り、囲むような領域の展開。


そこから、糺(ただ)すものは糺すために、冷静に、

一番苦しめられていた問題であった、人間関係の分析をしました。

結果、ぼくは筋の曲がったことはしていないと、

物理的に(法律や制度や文書的に)証明しました。

やや強引ではあったと思いますが、

(後悔はありません。むしろ、この気づきを与えてくれた純粋な感謝の気持ち。)

臆することなく、毅然と伝え、あるべき姿に戻せたと思います。

人生を復活させるには、光が必要です。

その光とは、幸せにしたい誰かが、幸せになっているという

未来のビジョン。

幸せにできる!という未来の記憶。


そして、この体験(光の体験)から、「学び」の質が変わりました。

これまでは、傷を覆い隠すような、その場的な思考で学びを選んでいましたが、

「光の体験」以降は、自分のためではなく

幸せにしたい誰かのために学ぶように、自然と変わっていったのです。

そして、ようやくここからが、この章のタイトルの回収です!

(長げぇっ!)

人は自分のためだけの学びでは(自我を満たすためだけの学びでは)

豊かにはなれません。

自我を膨らませれば、いずれ、臨界点がやってきて、崩壊をはじめます。

ぼくは自我の肥大により、一度、危ないところまで、崩壊しました。

では、どうしたら、豊かになれるのでしょうか?


それは、誰かのために、「真なること」を学ぶのです。

幸せにしたい人のためなら、人は「真なること」を追求できるのです。

「真なること」とは、ものごとや現象の大元の成り立ち、原理のこと。

これが答えだ!ということはできませんが、

何かを、どう学んでいっても、

広げて、深めていけば、最終的には

人は、自然は、世界は、宇宙は一体何を求めているのか?

真の豊かな状態とは、どのようなものなのか?

という問いに、まとまるのだと思います。


そして、そういった真なることを追求すれば、

それは善(ぜん)なる行いに自然と向かいます。

善なる行いに邁進(まいしん)している様子は、美しいものとなります。

美しいものは、同時に豊かなものです。


これが、豊かな人生をつくっていける

“真・善・美”で、真なる学びなのです。

“真・善・美”をもっと言うと、

「真」と「善」を尽くし、最終的に

「美」を目指すように生きるその過程が
豊かさの実現となります。

「真」だけを追求しても、それがイコール善いこと、美しいこととは限らず、

「善」だけを追求しても、それがイコール真なること、美しいこととは限りません。

ですが、(人間的に)「美しい」には、「真」も「善」も含まれています。

人のために真を探求し、人に善を行い、これにより、

人と一緒に美へと至(いた)ることができます。

こういったことで、

この、”真・善・美”をぼくの数あるモットーの一つとして、大切にしているのです。

そして、あなたにも、あなたやあなたのお子様の豊かさのためにも

この情報や、写真を通して、”真・善・美”を大切にしてもらいたいのです。


ぼくたちが撮影している写真にも、

この”真・善・美”を意識的に体感できるツールとしての役割があります。

ここまでで、だいぶ長くなってしまいましたので、

この続きはまた次回にしたいと思います。

次回は、「写真で人生を変える」をテーマに

人生を豊かにする上で大切な

“真・善・美”の実践についてお伝えしていきます。

写真を残すことの醍醐味(だいごみ)も

お届けしていきますので、

これからのお子様の撮影で、ご興味があれば、

またご覧ください。


あなたの心と人生が豊かになりますように。

リッチベクトルクリエイターの
荒井ゆうすけでした。

ありがとうございました。